コーチングのプロセス中に体験すること… |
➡不自由の正体がわかってくる。
➡思い通りに生きれない理由がわかってくる。
➡やりたい事や自分の使命を探し求める事の終焉に向かう。
➡対人関係が苦手なわけがわかってくる。
➡誤解されやすいと感じる事や被害者意識からの脱却に向かう。
➡楽に生きてるなと感じる頻度が増える。
➡自己探求の終焉に向かう。
➡普段の風景は何も変わらないのに、違う世界に住んでいるような感覚に気がつきます。
➡全て充分な気がします。
➡人間の仕組みが全てわかってしまう。
➡メタ認知回路が形成されることによって洞察力が極端に高まり、常に抽象度の高い視点の発生と共に生きてる事に気がつきます。
➡常に内証や思惟が起き、直感、予見感を認識する状態を感じます。
➡とてつもない事(より抽象的な事柄)が理解できている事に驚きと面白さが発生し、今まで生きてきて感じた事のない感覚にワクワクします。
➡自分本来の姿に回帰します。
【お申込みの条件】各種セッションを受けたことがある方、またはイベント等に参加したことがある方
※お申込みをしていただいた後、まず面談とコーチングの進め方ガイダンスを行います。面談の結果、お申込みのご希望に添えない場合もございます。
コーチング体験談 |
N.Yさんの体験談
自己内観をするのを避けて、手っ取り早く魔法を使うかのように、自己改革できていれば良いと、どこか夢物語を想っていたところから、ようやく目覚めた。
セッションで得た聞きたくない発想や情報の活用は採用して来なかったし、もちろん実行する事をしてこなかった。それは、たんたんと物事を行うという行為を全部避けてきた結果だった。
このままだと、しわくちゃばばあのなっても同じ事で泣いてる事になるとだけわかっていて、内心焦ってはいるが、いつも重い腰を上げる気になっていなかったから、どっちつかずのままの状態がいつも何事に置いても起こっていた。
自己内観したとしても、捉えた自分のパターンを一瞬で忘れてしまう事の繰り返しだった。
振り返っては、そのパターンに再認識して、不要な発想の立ち上げ上がりに振り回されない自己トレーニングをせず、今まで通りの妄想に囚われた状態での生活を自ら選んでいた。
冷静に自己内観していくと、その真意が明らかになった。
つまりは、井の中の蛙状態でもあり、見たくない世界観の排除を決め込んで、現実を見ず、自分の固定観念の中で全部処理を行う世間知らずの状態、、、
私は相手に合わせないで愛されたい期待のみだった。
人間関係の雛型である母親との関係性から、私がいつもある特定の特徴の男性とのみ付き合ってきた事が見えてきた。
それは、心から愛したいと思えるような相手を探す事をハナからせず、愛してくれる男性のみを求めるという事。
これでは、最初から『愛し愛される関係性』を自ら蓋をしてしまっていたのだという事に気づいた。
男性へこちらから愛情表現しても、報われない事への恐怖心から、ハードルを下げに下げて、ただこちらを向いてくれて、高嶺の花の如く一心に私を勝ち取ろうとしてくれる男性のみとの恋愛を選んできた。
母親からは無視されるであろう、或いは、他者(妹や父親)へ母の意識や愛情表現は向かってしまうだろうという常に不足感のある精神状態の雛型から自分なりに学習し習得した、安全性の高いであろう、愛される確率の高い人間関係と思い込んでいる男性との間での恋愛しかして来なかった事に気づいた。
報われないであろう愛、愛されないであろう相手、手が届かないと思う相手ではなく、恋愛において、「確実に手の届く範疇と思う男性」を選び続けてきた。
愛したいと思える様な自らが本当に素敵と思える様な相手には、傷つくのが怖くてそもそも近づかないパターンを作っていた。
母との関係性から学習した、お返しの愛が戻って来ないであろう相手を避けてきた。
つまり、愛していきたいと思える様な男性にはアプローチすると、拒まれる可能性を寸分も作らない為には、フォーカスをそこに置かないことが最良の手段と学習し、その発想を採用してきた。
実際には、自分が思うこの人なら私を容易く愛してくれるだろう人のみに近いた。親程年上の男性、収入の低い男性、軽度サイコパスな男性などなど
表面的な愛情表現
孤独感の穴埋め
感情ドラマへの没入
などで自分を疲労させてきた。
全部、元はと言えば、妄想が妄想を呼んだ世界観の中で繰り広げられた事。
確かに親の愛情は歪んでいた。
でもそれに気づいたら、そこから端を発していた自分の概念や思考を採用せずにいる事は、本当の意味で成長する事だと冷静に思えた。
もう良い加減、少女の頃に採用してしまっていた発想で不幸に感じるなら、それを採用をせず、ニュートラルに物事を捉えてみようと思った。
何度も何度も繰り返してニュートラルを採用していこう。
癖付いた発想の立ち上がりに意識を向けて、また、その古い自虐的発想を採用しない練習をすることにしよう。
この虚しい50過ぎの女性が恋愛に躓き涙するドラマ劇を一生続ける気は毛頭ない。
Y.Jさんの体験談
二十歳くらいから本格的に生きにくさを感じ、「素直な気持ち」というものをどこかに置き忘れて、しかも置き忘れているという事にも気付かないで生きてきました。
約20年間、自分の価値を上げるため、スピリチュアル系の本を読んだり、宗教に誘われてみたり、占いを習ったり、様々な活動をしてきました。
ジュンコさんの動画に出会った頃にも、身体系の施術をして十年が経過していた頃で、何となく気持ちの行き場のなさを感じていました。
2018年8月からジュンコさんの動画を毎日時間があるだけ観続け、メタ認知も理解した気でいましたが、9月に参加した大阪イベントで、全く理解できてなかったんだということが理解でき(笑)、そこで録音したボイスレコーダーを毎日聴き、今度こそは理解できた気でいましたが、12月に受けた個人セッションで、これまた理解できていない事が判明し(笑)2019年3月から受けたコーチングの最後くらいで、メタ認知も定着してきた感がありました。
何が変わったのかと言えば、楽に生きれるようになったことです。私はどうやらアダルトチルドレンで、強迫性障害や不安神経症、ほほえみ鬱も患っていたのですが、そんな事も知らないまま、それがいつの間にか治っていたのには驚きでした(笑)
しかも病状は結構重かったそうです(笑)
日々を送れば送るほど、前みたいな妄想を生み出さない(正確に言えば、生み出しても、メタ認知回路が稼働するため、すぐに落ち着く)ので、疲れなくなりました。人と話していても、ドラマを観ていても、見方が変わってきました。私は時間を病的に気にする人間で、個人セッションに行く日も約束の二時間前に「電車に乗り遅れたので遅れそうです」などとジュンコさんに電話をしたりしていました(笑)今では「その時間になってからかけたら?」と思いますが、相手の都合などおかまいなしに、相手の気持ちなど考えた事もなく、防衛防衛で生きてきて、そうしている自分を客観的に見るなんて到底できるはずもないのですが、客観的に見ようとする努力(無駄な)は毎日していました。(笑)
自分が考えている事を同じように他人も考えているに違いないという投影脳回路でずっと生きてきたので、本当の自分の気持ちを殴って殴って麻痺させたまま生きてきたみたいで、もはや収集つかなくなっていた時にジュンコさんの動画を発見できて本当によかったです。(笑)
何より、自分がやらかしていることをリアルタイムで発見できるようになり、もはや苦しみとは無縁の生活です。ジュンコさんが「苦しめなくなるよ」と話していた事が本当に自分の身にも起きました(笑)無意識にやらかしてきた事をしている最中に、「違和感」を感じて、やらかしている事を、そのままの状態にできなくなってきたのです。やらかしている時は、やらなくていいことをやっているとわかるのでやらないことが増え、時間も増えました(笑)
先日市民プールに行ったのですが、以前なら常に他人の目線が気になって、知らない誰かに気を遣って、無駄にヘトヘトになって勝手に機嫌を悪くしていたのですが(笑)流れるプールにのんびり浮き輪で家族と2時間流されながら、なんて楽しいんだろう!と考えていました(笑)当たり前の事が当たり前に幸せに感じられ、へんてこりんな自分は影を潜めてきました。
私が昔から一番気にしてきた「子育て」についても、上の子を好きになれなかった理由もわかったし、失敗をしたくないと全力で接してきた事がまるまる全て、無意識にこれまでの癖でやってきただけだと理解できました。身近な人物であればあるほど、自分と同一化するみたいで、特に子供に関しては、自分の価値に結び付ける癖がなかなか抜けませんでした。しかしジュンコさんの絶妙なナビゲートにより、自分でやっと気付く事ができ、自分が本来やりたかった子供に対する接し方が自然とできるようになってきたのです!これまでは自分の思い込みで作り上げた「大人」を演じてきただけだったのです。自分の素をさらしてもいいし、いつも冷静でなくてもいいし、失敗してもいいし、ただ、子供の事を観察して呼応するだけだったなんて。しかもそれがわかっていたのにずっと出来なかった(やりたくなかった)ので、子供に全力でぶつかることができた時は心から嬉しかったです。防衛が薄まるに伴い、相手を理解できるようになってきました。
最近は子供も癇癪を起さなくなり、学校でも絶好調だと担任の先生から電話がありました。息子は人に自分の意見を言えるようになってきたそうです。私が言えるようになってきたからだと思います。夫に伝える言葉も優しい物に変化してきました(笑)自然と変化してきました。嬉しいです。
以前は本屋に行ってもスピリチュアルコーナーにしか用事がなかったのですが、最近は、興味があるジャンルを自ら調べたり、勉強することが楽しくなってきました。以前だったら、これからに役立ちそうな事以外は目も向かなかったのに、色んな人々の様々な考え方や調べた事を読むのが楽しいのです。
早く死なないかなと思っていた日々から、「生きてるって楽しかったんだ!」と気付くことができた事がなにより嬉しいです。
ジュンコさんありがとうございます!!!!!
K.Sさんの体験談
夫と息子のトラブルをきっかけに家族の仲が冷え切って、苦しい毎日を過ごしていました。
現実を良くしようと、感謝の日記を付け、瞑想し、スピリチュアル系・自己啓発系の本やブログを読みあさり、YouTubeを見て、セミナーに出掛ける…そんな毎日でした。
そのうちノンデュアリティのメッセージに出会い、「私がいなくなる」ことを夢見て瞑想を続けるも、何も起こらず、さらに絶望感に襲われていました。
YouTubeにはある日突然「私がいないことがわかった!何も起きていないことがわかった!」と笑顔で語る人の動画がたくさん上がっていているので、私もそうなれば苦しみから解放されるだろうと考えていたのです。
ところがいつになっても悟ることができず、悟れないなら生きていても仕方ないとさらに苦しみは増していきました。「悟る=私がいなくなる」と理解していました。
そんな状態でジュンコさんの元を訪ねて1年がたちました。
最初は1DAY個人セッションで、家族がうまくいっていないのは夫のせいだと話しました。
ところが、ジュンコさんは「話を聞いたらすごくいい旦那さんだと思う」と言うのです。確かにジュンコさん言う視点で見ると「実はいい人なのかな?」と帰るころには思うようになりました。
すぐにコーチング講座に申し込み、脳の仕組みなどを聞いているうちにいつの間にか、本当にいつの間にか、前のように悩まなくなりました。
自分のことも客観的に見られるようになり、深みにはまることがないのです。
すると世界が違って見え始めました。
現実もどんどん勝手に良くなっていくのです。
ジュンコさんに出会う前の自分だったら奇跡だ!引き寄せた!などと大騒ぎしたくなるようなことが勝手に起こっていくのです。
でも今は大騒ぎすることもなく、じんわりと幸せだなぁと思う程度です。
私が見るようになった世界はこんな感じです!
世界一憎んでいた父と普通に話をしている息子。
1秒も勉強していないのに英検2級にさらっと合格した娘。娘曰く勉強している人に限ってできない。
これが、つまりなんとかしようとしている人に限ってなんとかならないってやつですね。
思いやりのある夫。
言いたいことを言えている自分。
コーチングの初めに「最近ご機嫌いかがですか?」とよく聞かれるのですが、私の答えは決まって「普通で~す」。その時々で笑ったり、怒ったり、普通ってこんな感じなんだなぁとよく思います。
ジュンコさん、あの悩み多き私によくここまで付き合ってくれました!本当にありがとうございます!
R.Jさんの体験談
2か月間ありがとうございました。そしておつかれさまでした。まだちょっと残っているけど、とりあえずw
消えればラッキーと思っていたある日、ジュンコさんのYoutube「私はいない」を見つけ、「え!私消えれる!?」と、それこそ魔法のようなものがあるかのように、ひきこまれるように動画を見始めました。目と肩がこりつめるほど毎日動画を見て、こりも限界にきたある日、どーしても話してみたい!と思って連絡したのを覚えています。やっぱりなんだかんだ、私はあの初めの2時間セッションが一番記憶に残っています。人間を「バイオメカ」と言い「感情も愛情も全部化学物質なの!」と言われた私ははじめ「・・・」(笑)「まあ。ほんとは私っていうのもいるわけじゃないんだけど、とりあえず今日はいるってことにしておくよ!ハハハ!」っていうところから始まったセッション笑笑 今でも鮮明に覚えています。その時、その意味はわからずとも自分の中で何か不思議と、その言葉にワクワクしたのを覚えています。その時はそんな感情も表現することができず、約2時間「うん。。。うん。。。うん。。。」と顔ひきつってうなずいていましたね。(笑)
まあーそんなセッションから始まり、コーチング。コーチングがどんあものかもよくわからず受け始めた私ですが、ふりかえると、ほんともう一回子育てを受けたっていう感覚が一番ピッタリです。まあジュンコさんからしたら、まっさらな素直なかわいい子供じゃなく、やっかいな無表情・無反応なアダルトチルドレンだったんだろうと思います♡(笑)でも、一から新しい情報を教えてもらい、必要な時は理解できるまで説明し、ある時は自分で考える時間を与えてくれ、一瞬一瞬みのがさず、2か月間私の脳に働きかけてくれました。ジュンコさんの話してくれた一言一言すべて、私の新しい脳回路形成にくわわっているでしょう。これからその回路がいろんな場面、出来事の場でピカピカとアクティベートされるのがとても楽しみです。
ずっと誰かがいないとだめだった私ですが、私が泣いた日、ジュンコさんが言った「私はなぐさめない、だってRちゃん大人だから!大丈夫と思ってるから!」その言葉がすごくうれしく、私の中で何か忘れていたものをおもいださせてもらったようで、それ以来私の考えに劇的な変化がありました。アインシュタインじゃないけどまさに頭の上で電球がピカーンと光るように、あ~~~そうなんだ~とどんどんひもとかれていくという言葉そのもの、そしてなぜそういう考えが起きて、その時はどういうことが脳では起こっていてということもわかり、今度は自分でも内発的に、じゃここは?じゃこれは?と疑問がわいてきて、知らず知らず量子力学にいっていました。誰か何か確かなもの、1+1=2のような疑いもしない答えというものを求めていた私ですが、そのたびに、確かな答えなんてないことに気づき、あれ、と。何度も何度もといかけていつもいつも返ってくる答えはここ。私の元でした。その時は「一周まわってここかよ~」なんて笑いながら話していましたね。
前にじゅんこさんが言っていた「何でもドラマチックに大げさにしたがるのが人間のかわいらしいとこ」っていう言葉がとても印象的でした。その時はかわいくないよ~、と思っていましたが、今では昔の動画を見て「うわ~必死に防衛している~かわいっ」と(笑)笑顔どころが大笑いして見ている私w 今思うのは何よりも楽しい事って素直に表現することだと。笑いたい時、泣きたい時、怒りたい時、何かが言いたい時、何もやりたくない時、今まで全部だしちゃだめだと思って全力で感情・反応を消そうとがんばっていた私に「ムリなことやろうとしてんの考えなおして!」といわれ、あれー、、と(笑)
私がやっていることがどういうことなのか、相手にどんな影響をあたえているか、人間とは、コミュニケーションとは、何かということを何度も何度も説明し、やな時はやだ、好きな時は好き、おもしろかったら笑ったらいいし、おもしろくなかったら笑わなくていい、「思ったことに正直でいい」と教えてもらった。まさにその瞬間に私の顔には自然に笑顔がでていました。
これからコーチングで学習した人間のメカニズム、トリセツをもとに、人とコミュニケーションをし、共依存ではなくコラボレーションで人と関わっていきます。観察できる人間として。もう大人だから!
本当に2か月間育ててくれてありがとうございました。ジュンコさんは私の「期間限定お母さん」(笑)
きっと教えてもらったどんな情報よりも、何よりも、セッションでのたわいない会話から見えてくる「素に正直に生きている」ジュンコさんの姿が私には一番ひびいていました。みるみると見える世界が変わる感覚はほんとうに魔法にかけられたようでした。魔法もまず自分にその力があるという事を知らないと使えないように、私たちも素の自分、個性という素晴らしいパワーを知っていく事で本来の存在というものに気づき始め、力の開放が起き始めるんですね。
おもしろい世界。ノンデュアリティの世界。
あるけどない、ないけどある。そんな不確かな世界で唯一一つだけ私は確信できたことがあります。
それは
「魔法使いはいた!」茨城に、、、ということでした(笑)
2か月間コーチング、ジュンコさんのお話、とってもとっても楽しかったです。
なんかしめくくってしまいましたがw、来月とりあえず遊びに行きます!そしてまたフォローアップの方、よろしくお願いします。
(後日談)
あーそういえばね、長期海外へ出発の日にお母さんが泣いて泣いて、まあいつも海外行くときも泣いてたんだけど、今回はいつもよりひどい気がして。そしたらお母さんがポロっと、「今回はしばらく会えない寂しさじゃなくて、Rがほんとに自立して、もうお母さんが必要ないんだってわかって、その寂しさだ」って言ったんですよね〜ハッとなって、その時初めてじゅんこさんのセッション受けた事話したんですよ。実はさーって笑 Rが行ったら動画見てみるって、Rが変われたんだからお母さんも、って、お母さん自分に言い聞かせるように言ってました。そのうちお母さんもセッション受けるかもしれないです^_^ お母さんが私が自立したって感じてるなんて、びっくりでした〜
最近頭の中が「しーん」となっているので、これまでを振り返ってみようと思います。
私がコーチングを受けた一番の理由は子供を愛せない事でした。現在子供達を毎日心から愛おしいと思う事が何よりありがたく、頑張ってきてよかったなと思います。
今思えば本当に母親をサボっていたことがよくわかります。「ジャイアンのお母さんは怒鳴るだけでジャイアンは言うことを聞くので羨ましい」などと平気で言ったり、子供を子供と理解して接しておらず、常に自分の事を優先していました。自分が話したい話のみを子供に聞かせ、子供の話は聞かず、面倒になれば怒ったりして酷い状態でした。しかしそんな自分をどこかで軽蔑していて、親から過保護過干渉された育児のやり方しか知らず、自分から打破する事も発生させず、明日私が消えていたらいいなと切に願う日々でした。(人間のダース・ベイダー化の極み)
しかしコーチングを受けるごとに「やるしかない」と心を入れ替えて子供を観察して少しずつ少しずつ子供達が落ち着いていったのは本当に嬉しかったです。(私が落ち着いていったのだと思います)
昔は親を恨み、なんで私がという時期が長かったのですが、コーチングを受け、毎日の中で考えるうちに、そういう事でもなさそうだ、負の連鎖は私の代で断ち切るぞと決めました。基本的に私から発生する思考を見張り続け、考えることを諦めずに進んできました。
私がコーチング途中で一番難しかった事は、人のせいにするパターンで「親は私を自分の心の安定の道具にして何も気づかないまま人生を終えるのだろう(これも私が思っているだけでしたが)親と同じ事をやってしまっていると分かったからといってすぐ依存的から主体的になれないんだよ!これってめっちゃ難しくない?無理ゲーやん?しかもこの話を出来る人もいないし、いてもなんのこっちゃわからないだろうし。マジで孤独な戦いだ!!!泣」
でも私はこれからも人のせいにしたり後悔したいのか?こんなに酷い人間でいることを自分にゆるしたまま死ぬのか?誰が見てなくても自分には嘘がつけないだろう。そしたらあきらめずにやりつづけるしかない!ヨシ!(こんな気持ちになれたのはかなり後)
コーチングを受ける中でわかったのですが、私は強迫性障害とほほえみ鬱で、軽度アスペルガーでもありました。(アスペルガーは特性なのでありつづけますが、他の病気はいつの間にか少しずつ消滅していきました)感覚が過敏で、こだわりが強く、周りからは変わっていると、どこに行っても言われました。過保護過干渉&放置で育てられ小学生の頃から毎日ゲームやテレビばかり見て勉強しなかったので、高校入試で挫折感を味わい、そこから初めて勉強して希望の短大に入ったものの、短大を卒業する頃には依存率100パーセント人間になっていたので、もはや就職といってもどうしていいのか本当にわからないままアルバイトをして専門学校に行って何となく公務員に受かり10年働きました。収入のほとんどを「自分探し」という名の、ゴールのないスピリチュアルや占いの、一瞬の偽安心のためだけの活動につぎ込んでいました。そうこうしていると何となく年齢的に結婚しなくちゃと焦り、運よく結婚して男の子を2人授かったものの、毎日死にたくて地獄でした。その頃はもう何が何だかわからず、絶望していました。ヤバさマックスでした。当時10年間習っていた体系の施術も、違和感が際立っていた頃でした。おそらく心の逃げ場がなくなっていたのだと思います。
コーチングを受け始めてしばらくは楽しかったのですが、だんだんと「あれ?ジュンコさんが言っているのって私の話じゃない?」という考えが発生してきました。ノンデュアリティラボを見るのは他人事なので楽しいのですが、自分の動画はだんだんと見るのがしんどくなっていった事を覚えています。早送りしたりして、やってる感は出すのですが、実際はやれていなかったのです。
私の場合は自分がアスペルガーという事を受け入れて自分でアスペルガーとは何か勉強して理解して実生活で人との関係において適切な対応を実践していくまでにも時間がかかりました。ジュンコさんも私を観察してその時その時に最適な情報を納品して下さいましたが、初めの頃はジュンコさんの話って答えがどこか分からなくてモヤモヤするとか、自分で考えなくてはならないので、肩透かしをくらった感がありましたが、コツコツ動画を見返していると、少しずつ少しずつ「そっか!」と日常生活の中で理解が発生して来ました。
私が一番辛かったのは認知の不協和です。コーチングを受けてだんだん追い詰められ、イメージとしてはそれまで頭は小学校低学年で身体は大人の私が「ね?ね?私悪くないでしょ?」みたいな防衛機制からの反応反射の話をしてジュンコさんが一つ一つ解説して下さるのですが、自分の実態を理解することになり、文句を言っていられなくなります。
ある時にもう充分概要は理解しているのにどうしても納得いかないというか夫もアダルトチルドレンなのに何で私が先に夫を理解してあげないといけないの?という(理解できてはいなかった)
どこまでいっても被害者意識の思考に負けそうになりました。(というか結構長い期間負けていました)その後は「わかっちゃったもんね!」みたいな魔境に入ったりしました。ジュンコさんが現状を説明して下さると、「ゴールだと思っていたらゴールじゃなかった!え~まだなの(泣)」という、そう思う事自体が幼稚なのですが、とてもガッカリしたことを覚えています。
私個人の体感的には、コーチングを受けてからの経緯は
①楽しく解説を聞ける
②だんだん自分がしている事の実態を解説され追い詰められる(しかしまだ自ら新しい動きをやってみる気は起きず先送り)
③日常の中で周りが見えるようになってくるが、自分の事は見えていない
④意志を持ってやらなきゃと重い腰を上げる(しぶしぶ)
⑤認知の不協和との戦い?から地獄に突き落とされるような阿鼻叫喚の時期があった(おおげさ)
⑥コツコツ新しい動きを実験して自らを律する事を続けていくと、あれよあれよという間に自分で解決する力が育ってきて、フルモデルチェンジしている自分を発見する(毎日続けていきます)
今思えば泣き言を言っている頃はそこまで努力をしていなくていつもの回路でウロウロしているだけだったんだなと思いました。最近主体的にラボを隅々まで繰り返し見て勉強していて思います。というのが、私の回路は基本的にアダルトチルドレンの母の回路をコピーしているため、死ぬまで見張って改善する気持ちでいます。無自覚のコントロールをこれからも見張り続ける所存です。
私はアスペルガーなので話したいことを最後まで言いたがったり、こまかい相手の言い間違えなどを修正したがったりしていましたが、そういう部分も日々改善しています。最近は自分を甘やかさなくなったので充実感もあります。リラックスする時はしますが、メリハリがついてきました。
以前は「人間だからいつか必ず死ぬ」ということを忘れていてというか見ないようにして、今じゃなくていいさと毎日自分を甘やかしてきたのだと思います。そのツケは半端なかったですが、このコーチングに取り組めて心からありがたくラッキーだったなと思います。コーチングを受けていなかったら自殺していた可能性が高いからです。
2018年の私にメッセージがあるとすれば「とりあえず何があってもコーチングを受け続けて!地獄を見ることもあるけど、自分がためこんだ宿題だから仕方ない(そんなこといったら意味不明だろうけど当時の私は)あっちぶつかりこっちぶつかりしても時間かかっても自分が自分を裏切らないってどいうことか、続けたら必ずわかる日が来るよ!がんばれ」です
コーチングの価格も今となっては本当に安いと思いました。他にたくさんの無意味な習い事をやってきたのでそう言えます。受けたらどうなるのかが想像できない世界は、この世界でありふれている理想とは違いましたが、静かに満足です。
振り返ってみると、親や先生などの周りもそうだったし、地位や名誉をいつの間にか追いかけて、承認欲求の権化になっていただけでした。最近こころ静かに淡々と生きる事がありがたく、本来これが人間の求めるものだとよくわかりました。なぜならば、これ以上欲しいものが無いし、誰かの承認も求めないし、身の回りにいる家族や友達と仲良くしているのでもっともっととならないのです。現代人は私を含め何が問題なのかわかっていなくて、その解決策も自分と似たような本当の健全な方向性を知らない誰かに依存し、信じられないのに無理やり信じてその場をしのぐ生き方になっていたんだなと思います。私も十年とある師匠について学んでいたことがありますが、だんだんおかしいなと思っても今更疑えない、つぎ込んだお金ももったいないしなどど(そっちの方が人生の無駄使いだった)無理して続けていましたが、結果的にやめてよかったと思っています。遅すぎることは何においてもないと思います。
苦しみのさなかにいた頃は、目の前で起きる出来事を川の流れのように移り変わるものとは決して思えなかったのだと思います。ありとあらゆる執着が半端なかったです。自分が安心したいがために周りをコントロールすることだけに尽力していました。
授業で習って知っているからといって自分の中でそのことが言えるならこうでああでと説明できるようになって実生活に反映できるようになるには、楽な事ってないんだなと感じています。
勝手に起きてるとか言いますが、子供の頃にいつのまにか我慢をするようになってそれが当たり前になるとそれを起点にしか周りとの関係が築けなくなり、しかしそれも辛いので夫には自分が子供化して夫を親代わりにして徹底的に甘えていました。コーチングを受ける間にますます私の言動行動が一時期ひどくなっていったのですが、それはそれまで自覚を持って現実を見れなかったのを見れるようになって「こんなことをしていたんだ私は」という事を知って後から気付きました。私は悪くないもんをずーっとやっていると目の前を何も見れていないんだなとよくわかりました。(根底では私は悪いと思っているから)
長男が登校拒否だった頃に毎日小学校まで送っていたのですが、下の子の幼稚園の時間もありものすごく怒りの毎日だったことをよく覚えています。いつも自分の気持ちを落ち着かせることだけを考えていた当時の私にとって、子供達や夫の事はしぶしぶやっていたのだと思います。だから文句ばかり言っていたし、いいことだけ起きてほしいロボット化していたなと思います。なぜいい事ばかり起こしたいのか、そしてはたしていい事との具体的な内容は何で、そんなことはありえるのかなど考える思考はやってこず、ただひたすら「心穏やかに死にたい」というおかしなことになっていました。人間の思い込みって本当に強固だし、本来の自分にとって不都合な事を巻き起こしているなんて思ってもいないなんて本当におそろしい話です。
私は昔から変わっているのですが、おかしな事をわざと言っていた部分もあったんだなと最近思うようになりました。そうしない事も選べるようになったからだと思います。本来の性質から、これからも風変わりなコメントをすることもあるとは思いますが、他者を怒らせたり不穏なムードにはならないようにする方向性はわかったので訓練してきてよかったなと思っています。
まとめると「いつの間にか依存人間(誰かに褒められるために生活全般が成り立っている)から主体的人間(出来ることは出来るし、出来るまでやるけど、出来ないこともある。自分の特性をよく知ってそれを常に客観視しつつ毎日をしっかり生きる)にスライドできたのだと思います。文字にすると短いですが、この言葉一つ一つの中にものすごくたくさんの情報がつまっており、ローマは一日にしてならずだなと、来た道を振りかえって思っています。「そう思おう」と思わなくても自動的に本来好みの方に考えが生み出され
今まで慣れ切ってしまっておかしいと思ったこともない他者の話に違和感を感じるようになったり、そしてそれを自分の中で考えて自分なりに答えを出し微調整して進んでいく。生まれてきて嵐が来て嵐に慣れてしまって本来の自分を見失って、固い銅像になって固まっていたのを毎日少しずつ磨いて磨いて、やっと中から人が出てきて動き出したような感じです。
ジュンコさんは一貫して同じ話をされており、コーチングの始めは「その話いいから心を軽くする話をしてほしい」などと思っても仕組みの話をひたすら聞き続けることが早道でした。続けて雨だれ石をうがつ精神でよかったです。
ずっと私が潜在的に探して来たことは考える事だったのだと思いました。これからは私を楽しみたいと思います。ありがとうございました。